タイだ。

タイで外こもりニートの日記帳。

Archive for 9月 2010

犠牲者公聴会

leave a comment »

9月25日、タマサート大学で行われた強制排除関連情報センター(PCI)主催の公聴会のレポート。
รายงาน: ไต่สวนสาธารณะ ปากคำเหยื่อกระสุน เม.ย.- พ.ค.53 -prachatai
Testimonies of victims of April-May crackdowns (英語版有り)

4月~5月の強制排除による負傷者と家族を殺された人々からの情報を共有し、まとめようという公聴会の模様。公開フォーラムと被害者や家族の為の基金設立の為のコンサート、数多くの負傷した人達の証言、パネラーとして各大学からの識者が参加した。以下証言の一部。
 
コークウア交差点での4月の強制排除の時に治安部隊のゴム弾により右目を失った若者、サンティポン君。

部隊の前列は警棒と盾を装備し、後列の兵士は銃を装備していた。デモ隊側はペットボトルの水、石、ビニール袋、パラー(魚を発酵した臭い調味料)などを所持。
治安部隊が前進してきた時デモ隊は動かずその場に留まってた。衝突したときも特に抵抗しなかった。そして銃声が聞こえ、負傷者達が運ばれるのを見た。自分は顔に付いた催涙ガスを水で洗おうと屈んだその時、ゴム弾で右目を撃たれた。
政府が行った事に対し責任を取るよう要求する、本当の事を話し、真実を受け入れるように。
当時政府が言っていた7つの段階的な対策の強化など無かった。いきなり最初から強硬な手段が始まり、それが更に激しくなった。

 
5月14日にルンピニ公園で撃たれた屋台の揚げサバ売りのトンチャイさん。

いつものように材料のサバを買いにバイクでラマ4通りに行ったが道路がブロックされてボンガイまで辿り着けなかった。断続的な銃声が聞こえる中、ルンピニ警察署の近くに群集と記者達が集まっているのが見えた。
カナダ人記者と共に道路を渡り、公園の塀の横に屈んで銃撃がどの方向で起きているのか知ろうとしていた。十分間ぐらいの銃撃が続いた後、カナダ人記者が撃たれて倒れた。トンチャイさんは記者を助に行こうと起き上がった所で尻の右側を撃たれ、続いて更に尻の左側を撃たれた。何人かが助けに走ってきたが、カナダ人記者は腹を撃たれていたので彼を先に助けるように言った。その後、別の人達によって本人も運ばれた。

トンチャイさん「余りにも痛すぎて引き摺られるのに耐えられず、何か運ぶ物を探してくれ、そうじゃないと俺は動かないと言った。それで彼らは警官用の盾を持ってきて警察署に運んでくれた。」

その後、病院の医師による手術で弾丸は摘出され、後に中国製のM16用弾丸と特定された。

 
5月15日に足を撃たれたネイション紙の記者、チャイワットさん。

PRESSと書かれた防弾チョッキと腕章を身に付けていた。… 午前10時半、バイクでランナム通りに入り、ラーチャプラロップ通りに出た。デモ隊が一体の死体を引きずろうとするとするも、部隊からの銃撃に阻まれて運べずにいるのが見えた。チャイワットさん達が到着すると銃撃が止み、デモ隊は15歳の犠牲者サマパン君(※以前ニュースになった)を含む二体の死体を運び出すことができた。2時~3時頃銃撃が再開したがチャイワットさんは撃たれることは無いだろうと思って写真を撮り続けた。しかし足を撃たれ、近くにいる友人に電話をした。25~30分後、兵士らが来て彼を軍用救急車に運んだ。車の中には3つの棺桶が見えたが死体が有るかどうかは暗くて見えなかった。彼はまた「デモ隊が武器で戦っているのは見なかった、竹製ロケットと花火だけであった」とパネル参加者に語った。
 
医師の診断書には「高速の銃弾で撃たれた、足の中で砕けた為判別は不能」という記述があるだけ。十日間の治療中、警察による取調べも無かった。彼はこれを前例とする為に政府を訴えるつもり。

 
その友人の記者、ウトーンさん。

ウトーンさんはチワタイというビルから狙撃兵部隊が地上のデモ隊を狩っていたと見ている。… ランナム通りのマンションのバルコニーで撃たれて死亡した有名歌手の親類の写真を見せ、その傷口からわかるのは、同程度の高さの建物からの銃撃であり、地上からのものでは無いと語った。また銃で照準する兵士の写真も見せた。
 
ウトーンさん「私は黄色シャツ、赤シャツ両方の写真を撮ってきた。… 黄色シャツに対して、軍は何もしなかった。催涙ガスによる強制排除で人が死に、警察のトップは首になった。赤シャツは撃たれたが軍のトップは相変わらずその地位を保っている。」

 
フリー記者のニック(Nick Nostitz)さん。

… 腹を撃たれた赤シャツのチャーンナロンさん(※以前ニュースになった)は塀を登れず池に落ちた。兵士はチャーンナロンさんを池から引き出すよう、記者のニックさんに命令。ニックさんは言われた通りにやろうと試みたが一人ではできず、兵士に手伝ってくれるよう求めた。しかし兵士はチャーンナロンさんを「この野郎、死ねばいいだろ。俺が病院に運ばなきゃいけないならお前は死んだほうがいい」と罵った。記者のニックさんとチャーンナロンさんは軍医が来るまで3時間半そこから動けなかった。
 
一ヶ月後ニックさんはチャーンナロンさんを探したが、既に亡くなっていたと知った。…


記事にはこの時の高所から撮影したビデオが有ります。この件は以前ニュースになって写真もありましたが、高所から撮ったビデオにこれが写っていたのは驚きです。記事には他にもいくつもの証言が掲載されています。

広告

Written by thaida

2010/09/29 at 12:53

カテゴリー: ニュース, 政治経済

Tagged with , , ,

プラチャータイ理事、当局に拘束される

leave a comment »

いつも見ているプラチャータイですが、その理事(代表)のジーラヌット女史の身柄が拘束された模様。
กักตัว ผอ.ประชาไท ที่สุวรรณภูมิ เบื้องต้นยังไม่ทราบข้อกล่าวหา -prachatai

ハンガリーでのInternet at Liberty 2010会議から本日帰国した所を入管で拘束された。なんと2009年4月27日のコンケン県での何らかの行為に対してコンケン県裁判所が本日令状を出したという事だが、詳細は不明。

どうやら不敬罪の容疑の模様。またか…という感じ。

追加 9-25:
Thai news site webmaster arrested for second time -yahoo finance
去年に続き二度目の逮捕。

Prachatai editor released on bail -Reporters without borders
国境無き記者団: 「ジーラヌット女史の即時開放と容疑の取下げを要求する。この数カ月間、プラチャータイはタイで何が起きているのか最も信頼できるニュースソースである」
The press freedom organization: 「プラチャータイはポストされるコメントの制御が困難なため、既にフォーラムを閉鎖している。今回の逮捕は容認できない。逮捕はオンラインでの表現の自由に関する国際会議に招かれたその帰りでの出来事」
前回3月31日の逮捕ではジーラヌット女史の姉妹が30万バーツの保釈金を支払った。フォーラムにポストされた王室批判コメントの削除が遅かったという理由で、未だに懲役50年の刑が課せられる可能性が有る。

今回は支援者達が用意した20万バーツの保釈金で既に保釈されているが、後日コンケン県でまた出頭しなければならない。

追加 9-26:
Political website director released on bail -bangkok post
アムネスティ・インターナショナル「タイ政府は不敬罪法の支えとしてコンピュータ関連犯罪法(2007年)を頻繁に使い、政治的に異なる意見表明を黙らせる為に検閲を増大させる傾向にある。不敬罪法による国際人権法の下で規定される表現の自由の制限は度が過ぎる。」
なんか訳が変かも?原文:

Amnesty International yesterday released a statement condemning Ms Chiranuch’s arrest.

“The Thai government has frequently used the 2007 Computer-related Crimes Act to uphold the country’s lese majeste law in a growing trend of censorship to silence peaceful political dissent,” the statement said.

“The lese majeste law goes beyond reasonable restrictions on freedom of expression provided for under international human rights law.”

ジャーナリスト保護委員会 (CPJ)「正当な批判を抑圧するために”反王室の告発”を使うのを、タイ政府は止めるべき」

4月7日以降、アピシット政権は非常事態宣言に乗じて衛星テレビニュース局、コミュニティーラジオ局、出版印刷所、反政府のUDDに関係したウェブサイトを閉鎖している。

追加 9-27:
นักข่าว 0.8: กรณีการจับผู้อำนวยการนสพ.ประชาไท และข่าวที่กรุงเทพธุรกิจออนไลน์รายงาน #freejiew -bact
当日ジーラヌット女史に付き添って空港からコンケンまで同行し、夜中2時過ぎに保釈されるまで女史と一緒に居たbact氏による記事。

クルンテープ・トゥラキット新聞社のニュース記事について。事実関係、拘束や保釈の各物事が起こった時間、誰が保釈金を払ったのか等、そのニュース記述の全てにおいて間違った記述しており、ニュース記事の正確性どころか、大ほら吹きといえるレベルだと指摘しています。

Written by thaida

2010/09/24 at 16:58

深南部

leave a comment »

Thai army ‘risks lives of schoolchildren’ -ANN

HRW(ヒューマンライト・ウォッチ)のレポートによると、南部の治安部隊の兵士達は安価で便利な方法として多くの学校の敷地に基地を設置し、生徒達のすぐ近くに住んでいる。学校を土嚢や有刺鉄線で要塞化し、監視塔を設置している所も有る。その結果、多くの学校が攻撃の的となり、生徒達を危険に晒している。また若い兵士達が常にそばにいる事も、女生徒やその親達を不安にさせる。

ナラティワートで二人の仏教徒の教師が銃撃で殺される数日前、「仏教徒の教師20人の死を求む」というビラが見つかっている。

2004年に小休止していた後の戦闘激化以来、深南部三県とソンクラー県の一部では135人の教師と学校職員が殺さ、それ以外にも103人の教師と19人の教育関係者が負傷している。

HRWシェパード氏「悲しいことに深南部で教師になるということは、自らを紛争の最前線に置くという事だ。」

過去のインドネシアのアチェの例と同様、タイ南部の分離派は教師を殺し、仏教国のタイの統治のシンボルとしての学校を焼き払う。2004年以降、少なくとも320の学校が焼き討ちの標的となった。ムスリムの教師でさえも政府に協力する者であるとして攻撃され殺されている。

一方いくつかのイスラム系の学校は過激派の教師が居ると疑われ、治安部隊からの標的となっている。ある学校は急襲捜査され、小さな子供を含む全ての生徒が逮捕されたが何も見つからず、軍はその後釈放して謝罪している。

シェパード氏「軍キャンプを設置するのに便利だからといって、政府は子供の教育を妨害するべきではない。分離派リーダーは教師や学校への攻撃を止めるべきだし、政府は学校を軍基地として使ったりイスラム系学校での無闇な逮捕を止めるべきである。子供達を傷つけ、さらなる反乱を煽ることになる。」


学校や教師が標的になるケースが非常に多いんですが、やはり治安部隊の存在も大きな要因のようですね。

Written by thaida

2010/09/22 at 18:35

カテゴリー: 社会, 政治経済

Tagged with ,

赤シャツ動向

leave a comment »

9月19日(日)、「クーデターから丸4年、5月の悲劇から丸4ヶ月」の記念集会は平穏に終了。

Red tide returns -nation
首都とチェンマイで平和的な集会。ソンバット・ブンガームアノン氏の予告した通り警察との調整もきちんとできていたようだが予想を超えて一万人規模の集会になってしまった為に交通は妨害しないという条件は満たせずラーチャプラソンは3時間程通行不能になり、キャンドルライトや風船放出等の催しも2時間ほど早めて行われた。一方タマサートとチュラの反独裁運動の学生達はタマサート大から民主記念塔まで行進、4月と5月のデモ隊鎮圧時の犠牲者への献花、91人の死者を出した政府の責任と民主主義衰退への懸念を訴えた。

Protesters Return to Streets of Bangkok -NYtimes
反政府デモ、バンコクに再び。大規模ながらも短時間の抗議活動。

Thai red-shirts stage defiant protest -BBC
数千人の反政府赤シャツ団体が首都バンコクへ。非常事態宣言に挑戦。深い溝が未だに存在し続けていることを印象づけた。

‘Red Shirts’ mark anniversary of 2006 coup in Thailand -CNN
各地方メディアによると同様な集会はチェンマイ、ノンカイ、及び東北部の各地方都市で行われた。


かつてのリーダー達はチェンマイの集会で演説していたようですが、これについてはあまり伝えられていないようですね。

No violence amid sea of red -bangkok post
集会はバンコク以外ではチェンマイ、ピサヌローク、パヤオ、ウボンラチャタニ、アユタヤ、ラヨン、ナコンシータマラートで行われた。主な趣向は91人の死者への追悼で総じて平穏に終わった。チェンマイでは運動競技場を会場とし、北部の各県からの参加者に加えバンコクから車で駆けつけた参加者も居た。首都とチェンマイ以外ではどこも数十から数百人程度の小規模な集会だった模様。

一方ウドンタニではこれに対抗する内務大臣主催の集会が5万人規模で行われ、ピンクのシャツの参加者達が王室擁護を主張した。

“บก.ลายจุด” ประกาศยุติชุมนุม ขอบคุณเสื้อแดงชุมนุมประสบความสำเร็จเกินคาด -siam intelli
ソンバット・ブンガームアノン氏:

今後の方針については、最低6ヶ月は大規模な集会は行わず、個々の小さな活動を重視していく。来週はウドンタニ県で自転車をこぐ。その後はアユタヤ県。どちらも交通を遮断する事は無く、PADと同様の機会を欲するものである。ディンデーンのタイ日運動競技場での活動も予定している。

 
SBS Dateline | Reds Return
オーストラリアの報道。チェンマイの集会に向けて人々が準備する段階からビデオ取材を行い、地道な寄付集めや地元民の生の声を収めていますが、後半に5月の事件以来ずっと身を隠している赤シャツへのインタビューが有ります。

潜伏している女性「当局の男性から、政府が排除したい人々のブラックリストが有ると警告された。仲間が追い詰められつつあり、また一部は既に狩られている。」
 
別の男性「問題の行き着く先は市民戦争だと思う。」
インタビュアー「それにはお金がかかるでしょう、タクシンが出すの?」
男性「彼は市民戦争のリーダーでは無い。今仮に彼が死んでも問題ない。皆自分で考えて行動できる。」
 
先程の女性「市民戦争が避けられないのなら私も武器を持って戦う。今はまだその時では無いけれど、戻ってくるかと聞かれれば”必ず”。全ての赤シャツは呼びかけが有れば戻ってくる。」


オーストラリアは研究機関のタイ研究もそうですが、メディアもタイ問題に妙に力を入れていますね、なぜでしょう?

追加 9-22:
ประมวลภาพ : เวทีกิจกรรมเสื้อแดงเชียงราย 20 ก.ย. -prachatai
20日月曜日のチェンラーイ県での集会の様子。参加者は千人程。内容はデモ隊強制排除に関する展示会、バンコクからのキャラバン出迎え等の活動。

Written by thaida

2010/09/20 at 09:58

グレネードで死にかけた

leave a comment »

5月19日、取材中に重症を負った外国人記者の記述。
The Nation’s State: Almost killed by an M79 grenade

(以下意訳)
赤シャツのデモを2ヶ月に渡って取材した後の5月19日、M79グレネードに被弾し私は危うく命を落とす所だった。

タイ軍がデモ隊も市民も記者も無差別に銃撃していたことを考慮し(カナダ人の友人は3発撃たれてかろうじて病院に生きて辿りついた)、私は戦術を変えて兵士と行動を共にしていた。

しかし赤シャツのデモ隊、黒シャツと呼ばれる者達もまた武装し銃撃を行っていた。私はルンピニー公園の外側のラーチャダムリとサラサンでの銃撃戦を写真撮影していた。

兵士達と共に隠れていた所、黒シャツは空っぽの道めがけてM79グレネードを連射してきた。ルンピニー公園内に2発、シーロムの近くに1発、そして私を含む兵士のグループめがけて1発。

破裂したりゅう弾の24の破片が私の背中と足を貫き、肋骨を何本か折り、肺と腸に突き刺さった。

さらに3つの破片が後頭部に刺さって私の頭蓋骨を砕いて脳に達した。ある記者が後で語ったところでは、私の頭蓋骨の破片が地面に落ちていたのを見たそうだ。

私は意識を失って多量に出血し、目は開いたまま放心していた。現場に居た軍医は私の脈を取ったが見つけられず、私の死を宣告した。
そしてその恥知らずな野郎は私のカメラを盗んだ。

そして直ぐに記者たちがやって来て私が呼吸しようとしているのに気付き、大急ぎで病院へ運んだ。

実際のところ、周囲ではまだ機関銃による銃撃が有るにも関わらず、記者達と市民は大きなリスクを冒して私を助けたのだ。彼らの行為に私は深く感謝している。

3日後、シーロム通りにあるICUで私は目覚めた(見たところ既に会話していたそうだが私には記憶がない)。

りゅう弾によって割かれた傷は7週間もの間出血が止まらず、折れた肋骨はずきずきと痛み、左耳の聴覚が失われて混乱するし、頭の怪我が最も心配だった。

破片は頭蓋骨を貫いて私の脳に達した。神経外科医は二つの破片を取り除くことができたが三つ目は取り除くには危険過ぎたため頭の中に留まっている。

右半身全体が完全に麻痺していた。また視覚と物体の認識に重大な問題が有り、鏡に写る自らの姿さえ認識できなかった。
にもかかわらず3週間後、私は足を引きずりながら退院し、騒々しい担当医師や皆を驚かせた。

そして3ヶ月後、少々の永久に残る傷害と共に私は現れた。聴覚障害、多くの傷跡、見苦しく引きずる足。しかし私は歩き、職場に戻っている。

言うまでもなくブログを書くのは休み、物理療法と仕事に集中している。

しかし、終わりには程遠いタイの政治的混乱の事を思えば、長い休みにはならないだろうと思っている。

Written by thaida

2010/09/16 at 16:54

カテゴリー: 社会

Tagged with , , ,

最低賃金の大幅な引き上げ?

leave a comment »

Monthly wages for manufacturing workers in Thailand now lower than in China | Asian Correspondent

資本流入が止まらず株高バーツ高のタイですが、記事によると中国の製造業労働者平均賃金が上がり続けてきた結果、中国412.5ドル/月に対してタイは245.50ドル、と既に中国を遥かに下回っているそうです。もちろん労働者人口は1/20と遥かに小さいですが。

カシコン銀「中国での労働者不足と賃金上昇によりタイは自動車メーカーにとって更に魅力的な投資先になる」

気がつけば、タイが自動車王国に(日経)という記事も有りますが、フォードもタイに4億5千万ドルの自社工場を、また先月はGMが新たに5億ドルでディーゼルエンジン工場を作り、従業員を倍にすると発表。

先月ゴーン財務大臣は最低賃金の大幅な引き上げを行った場合の影響を考えていると語ったそうです。中国の現状を見ての引き上げなら、かなり大幅なものになるんじゃないでしょうか。

追加 9-17:
【タイ】光岡自、初の海外生産開始へ:ヨントラキットと合弁会社設立[車両]/NNA.ASIA
光岡自動車(富山市)、タイに合弁会社のミツオカ・モーターズ・タイランドを設立。
「日本からマレーシアやシンガポールに輸出すると100%の関税。ASEAN自由貿易地域(AFTA)による関税撤廃を機に、東南アジアのデトロイトであるタイを生産拠点として、ASEAN域内はもちろんのこと、中東、インドなどへの輸出販売を強化していきたい」。

Written by thaida

2010/09/15 at 18:35

カテゴリー: ニュース, 政治経済

Tagged with ,

赤服集会の様子

leave a comment »

「日曜は赤服」運動の集会9月12日は、アピシット政権下で軍によるデモ隊強制排除で死者が出た地域を中心に、約50人台の自転車による行進が行われた。
กลุ่มวันอาทิตย์สีแดงขี่จักรยานรอบพื้นที่ราชประสงค์ -prachatai (動画有り)
 
運動創始者ソンバット・ブンガームアノン氏(通称ボーコー・ラーイチュット)

来たる9月19日はクーデターから丸4年、強制排除から丸4ヶ月。強制排除により多数の死者が出たことに関して政府からの回答はまだ無く、市民が自らその答えを探し求めるものである。そして赤服はこの悲劇をまだ忘れていないと宣言するものである。
 
9月19日の活動は、2006年9月のクーデター、そして2010年のデモ隊強制排除での市民の損失を偲び、赤い風船一万個を空に放ち、一万本の赤い布をラーチャプラソン中に結ぶ。そしてダイング(死んだふり)を行い、19時には赤いロウソクを灯す。約2時間半の行程となる。
 
(近頃起きているの爆弾騒ぎについての記者の質問に) いかなる派によるものであれ暴力は正当化されない。警察との調整もきちんとできているので、追悼活動の間に何も起こらないことを望む。
 
(外人記者からの質問に) 自分は赤服リーダーでは無く活動を調整する市民、リーダーが無くても市民は活動を続けられると信じる。

 
丁度この時カッティヤー・サワディポン(ディアー)さんが運動応援の為ラーチャプラソン交差点に到着し、参加者達の歓迎を受けた。
 
17時過ぎ、自転車での行進はラーチャプラソン交差点を出発、ラーチャダムリ通りを走りプラトゥーナーム交差点からラーチャプラロップ通りへ。サマーパン君という少年が5月15日朝に銃撃により死亡した場所とラーチャプラロップ22入り口で一時停止し、家の中にまで銃撃で被害を受けた住人と会話。その後ラーチャウィティー通り、サンティパープ公園、(焼け落ちた)センターワン、戦勝記念塔、左折してパヤータイ通り、ラーンナム通りへ入って引き返してラーチャプラロップ、ラーチャダムリ通りを経てルンピニー公園のラーマ6世通り広場に到着。1時間程の行進の間、沿道の両側の市民が時折「兵士が市民を撃った」、「我々は忘れない」等の掛け声と共に手を振った。
 
一方ルンピニー公園のラーマ6世像広場では、5月13日に狙撃暗殺されたカッティヤ・サワディポン少将(セートデーン)を偲ぶ集会が行われており、「日曜は赤服」運動参加者も合わさって多くの人出となった。カッティヤ少将が外人記者によるインタビュー時に狙撃暗殺される場面を再現した後、娘のディアさん等がカッティヤ少将の遺影、赤い布と赤いバラを持って暗殺現場に行進。その後カッティヤ少将の略歴の読み上げ、赤いロウソクの点灯、献花等が行われ、追悼集会は19時頃に終了した。
 
追加: 関連記事。
 
go6: “น้องเดียร์” ผนึกกำลัง “บก.ลายจุด” เตรียมลุยราชประสงค์ 19กันยานี้
ディアーさんは前触れ無しに来た為、参加者達を驚かせた。「父の代わりに参加しに来た」と語り、19日の集会への参加を呼びかけた。父の暗殺場面の再現ではさすがに涙を滲ませていたようだ。暗殺場面の再現でセートデーン役を演じたのは、2ヶ月前にラーチャプラソン交差点で「ここで死んだ人が居る!」と叫んだ為に逮捕された活動家ナティー氏。