タイだ。

タイで外こもりニートの日記帳。

グレネードで死にかけた

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5月19日、取材中に重症を負った外国人記者の記述。
The Nation’s State: Almost killed by an M79 grenade

(以下意訳)
赤シャツのデモを2ヶ月に渡って取材した後の5月19日、M79グレネードに被弾し私は危うく命を落とす所だった。

タイ軍がデモ隊も市民も記者も無差別に銃撃していたことを考慮し(カナダ人の友人は3発撃たれてかろうじて病院に生きて辿りついた)、私は戦術を変えて兵士と行動を共にしていた。

しかし赤シャツのデモ隊、黒シャツと呼ばれる者達もまた武装し銃撃を行っていた。私はルンピニー公園の外側のラーチャダムリとサラサンでの銃撃戦を写真撮影していた。

兵士達と共に隠れていた所、黒シャツは空っぽの道めがけてM79グレネードを連射してきた。ルンピニー公園内に2発、シーロムの近くに1発、そして私を含む兵士のグループめがけて1発。

破裂したりゅう弾の24の破片が私の背中と足を貫き、肋骨を何本か折り、肺と腸に突き刺さった。

さらに3つの破片が後頭部に刺さって私の頭蓋骨を砕いて脳に達した。ある記者が後で語ったところでは、私の頭蓋骨の破片が地面に落ちていたのを見たそうだ。

私は意識を失って多量に出血し、目は開いたまま放心していた。現場に居た軍医は私の脈を取ったが見つけられず、私の死を宣告した。
そしてその恥知らずな野郎は私のカメラを盗んだ。

そして直ぐに記者たちがやって来て私が呼吸しようとしているのに気付き、大急ぎで病院へ運んだ。

実際のところ、周囲ではまだ機関銃による銃撃が有るにも関わらず、記者達と市民は大きなリスクを冒して私を助けたのだ。彼らの行為に私は深く感謝している。

3日後、シーロム通りにあるICUで私は目覚めた(見たところ既に会話していたそうだが私には記憶がない)。

りゅう弾によって割かれた傷は7週間もの間出血が止まらず、折れた肋骨はずきずきと痛み、左耳の聴覚が失われて混乱するし、頭の怪我が最も心配だった。

破片は頭蓋骨を貫いて私の脳に達した。神経外科医は二つの破片を取り除くことができたが三つ目は取り除くには危険過ぎたため頭の中に留まっている。

右半身全体が完全に麻痺していた。また視覚と物体の認識に重大な問題が有り、鏡に写る自らの姿さえ認識できなかった。
にもかかわらず3週間後、私は足を引きずりながら退院し、騒々しい担当医師や皆を驚かせた。

そして3ヶ月後、少々の永久に残る傷害と共に私は現れた。聴覚障害、多くの傷跡、見苦しく引きずる足。しかし私は歩き、職場に戻っている。

言うまでもなくブログを書くのは休み、物理療法と仕事に集中している。

しかし、終わりには程遠いタイの政治的混乱の事を思えば、長い休みにはならないだろうと思っている。

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Written by thaida

2010/09/16 @ 16:54

カテゴリー: 社会

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