タイだ。

タイで外こもりニートの日記帳。

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赤動向

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10月17日(日)、赤シャツ集会はチェンマイ県からアユタヤ県へのパレード、そしてアユタヤ県の運動競技場での集会が行われた。
เสื้อแดง “แรลลี่-ชุมนุม” อยุธยา คึกคัก -prachatai (写真集有り)

道中に設置された数多くの検問に加えて道路にマキビシが撒かれていた為アユタヤ県へのパレード到着は大きく遅れた。検問は集会終了後もアユタヤに出入する道路で一晩中行われた模様。

『6月24日民主主義グループ』のソムヨット氏の声明:

政府による武力鎮圧で数多くの死傷者を出した10月14日の事件から37年となる。それは国民に権力を返せという赤シャツの要求に対するアピシット政権による武力鎮圧で92人の死者と数えきれない負傷者を出したのと同様の事件だった。
政府に対し、政治犯の釈放、裁判所改革、経済改革、農業従事者への充分なレベルの社会保障、強制閉鎖された赤シャツ系メディアの報道の権利の回復(D-station、ピープルズ・チャネル等のTV局、レッドパワー紙等)を要求する。
またプラユット陸軍大将に対し、政治への干渉を止め、今年の4月10日と5月19日の事件に関する事実を公表し、国民への武力鎮圧を命令した者を迅速に罰する事を要求する。

 
この日の集会は22時頃、参加者に配られた3千発の花火で終了した。
来月の11月はルーイ県での集会。また後半はサムットサーコーン県での集会を検討中とのこと。

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Written by thaida

2010/10/18 at 13:41

犠牲者公聴会

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9月25日、タマサート大学で行われた強制排除関連情報センター(PCI)主催の公聴会のレポート。
รายงาน: ไต่สวนสาธารณะ ปากคำเหยื่อกระสุน เม.ย.- พ.ค.53 -prachatai
Testimonies of victims of April-May crackdowns (英語版有り)

4月~5月の強制排除による負傷者と家族を殺された人々からの情報を共有し、まとめようという公聴会の模様。公開フォーラムと被害者や家族の為の基金設立の為のコンサート、数多くの負傷した人達の証言、パネラーとして各大学からの識者が参加した。以下証言の一部。
 
コークウア交差点での4月の強制排除の時に治安部隊のゴム弾により右目を失った若者、サンティポン君。

部隊の前列は警棒と盾を装備し、後列の兵士は銃を装備していた。デモ隊側はペットボトルの水、石、ビニール袋、パラー(魚を発酵した臭い調味料)などを所持。
治安部隊が前進してきた時デモ隊は動かずその場に留まってた。衝突したときも特に抵抗しなかった。そして銃声が聞こえ、負傷者達が運ばれるのを見た。自分は顔に付いた催涙ガスを水で洗おうと屈んだその時、ゴム弾で右目を撃たれた。
政府が行った事に対し責任を取るよう要求する、本当の事を話し、真実を受け入れるように。
当時政府が言っていた7つの段階的な対策の強化など無かった。いきなり最初から強硬な手段が始まり、それが更に激しくなった。

 
5月14日にルンピニ公園で撃たれた屋台の揚げサバ売りのトンチャイさん。

いつものように材料のサバを買いにバイクでラマ4通りに行ったが道路がブロックされてボンガイまで辿り着けなかった。断続的な銃声が聞こえる中、ルンピニ警察署の近くに群集と記者達が集まっているのが見えた。
カナダ人記者と共に道路を渡り、公園の塀の横に屈んで銃撃がどの方向で起きているのか知ろうとしていた。十分間ぐらいの銃撃が続いた後、カナダ人記者が撃たれて倒れた。トンチャイさんは記者を助に行こうと起き上がった所で尻の右側を撃たれ、続いて更に尻の左側を撃たれた。何人かが助けに走ってきたが、カナダ人記者は腹を撃たれていたので彼を先に助けるように言った。その後、別の人達によって本人も運ばれた。

トンチャイさん「余りにも痛すぎて引き摺られるのに耐えられず、何か運ぶ物を探してくれ、そうじゃないと俺は動かないと言った。それで彼らは警官用の盾を持ってきて警察署に運んでくれた。」

その後、病院の医師による手術で弾丸は摘出され、後に中国製のM16用弾丸と特定された。

 
5月15日に足を撃たれたネイション紙の記者、チャイワットさん。

PRESSと書かれた防弾チョッキと腕章を身に付けていた。… 午前10時半、バイクでランナム通りに入り、ラーチャプラロップ通りに出た。デモ隊が一体の死体を引きずろうとするとするも、部隊からの銃撃に阻まれて運べずにいるのが見えた。チャイワットさん達が到着すると銃撃が止み、デモ隊は15歳の犠牲者サマパン君(※以前ニュースになった)を含む二体の死体を運び出すことができた。2時~3時頃銃撃が再開したがチャイワットさんは撃たれることは無いだろうと思って写真を撮り続けた。しかし足を撃たれ、近くにいる友人に電話をした。25~30分後、兵士らが来て彼を軍用救急車に運んだ。車の中には3つの棺桶が見えたが死体が有るかどうかは暗くて見えなかった。彼はまた「デモ隊が武器で戦っているのは見なかった、竹製ロケットと花火だけであった」とパネル参加者に語った。
 
医師の診断書には「高速の銃弾で撃たれた、足の中で砕けた為判別は不能」という記述があるだけ。十日間の治療中、警察による取調べも無かった。彼はこれを前例とする為に政府を訴えるつもり。

 
その友人の記者、ウトーンさん。

ウトーンさんはチワタイというビルから狙撃兵部隊が地上のデモ隊を狩っていたと見ている。… ランナム通りのマンションのバルコニーで撃たれて死亡した有名歌手の親類の写真を見せ、その傷口からわかるのは、同程度の高さの建物からの銃撃であり、地上からのものでは無いと語った。また銃で照準する兵士の写真も見せた。
 
ウトーンさん「私は黄色シャツ、赤シャツ両方の写真を撮ってきた。… 黄色シャツに対して、軍は何もしなかった。催涙ガスによる強制排除で人が死に、警察のトップは首になった。赤シャツは撃たれたが軍のトップは相変わらずその地位を保っている。」

 
フリー記者のニック(Nick Nostitz)さん。

… 腹を撃たれた赤シャツのチャーンナロンさん(※以前ニュースになった)は塀を登れず池に落ちた。兵士はチャーンナロンさんを池から引き出すよう、記者のニックさんに命令。ニックさんは言われた通りにやろうと試みたが一人ではできず、兵士に手伝ってくれるよう求めた。しかし兵士はチャーンナロンさんを「この野郎、死ねばいいだろ。俺が病院に運ばなきゃいけないならお前は死んだほうがいい」と罵った。記者のニックさんとチャーンナロンさんは軍医が来るまで3時間半そこから動けなかった。
 
一ヶ月後ニックさんはチャーンナロンさんを探したが、既に亡くなっていたと知った。…


記事にはこの時の高所から撮影したビデオが有ります。この件は以前ニュースになって写真もありましたが、高所から撮ったビデオにこれが写っていたのは驚きです。記事には他にもいくつもの証言が掲載されています。

Written by thaida

2010/09/29 at 12:53

カテゴリー: ニュース, 政治経済

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赤シャツ動向

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9月19日(日)、「クーデターから丸4年、5月の悲劇から丸4ヶ月」の記念集会は平穏に終了。

Red tide returns -nation
首都とチェンマイで平和的な集会。ソンバット・ブンガームアノン氏の予告した通り警察との調整もきちんとできていたようだが予想を超えて一万人規模の集会になってしまった為に交通は妨害しないという条件は満たせずラーチャプラソンは3時間程通行不能になり、キャンドルライトや風船放出等の催しも2時間ほど早めて行われた。一方タマサートとチュラの反独裁運動の学生達はタマサート大から民主記念塔まで行進、4月と5月のデモ隊鎮圧時の犠牲者への献花、91人の死者を出した政府の責任と民主主義衰退への懸念を訴えた。

Protesters Return to Streets of Bangkok -NYtimes
反政府デモ、バンコクに再び。大規模ながらも短時間の抗議活動。

Thai red-shirts stage defiant protest -BBC
数千人の反政府赤シャツ団体が首都バンコクへ。非常事態宣言に挑戦。深い溝が未だに存在し続けていることを印象づけた。

‘Red Shirts’ mark anniversary of 2006 coup in Thailand -CNN
各地方メディアによると同様な集会はチェンマイ、ノンカイ、及び東北部の各地方都市で行われた。


かつてのリーダー達はチェンマイの集会で演説していたようですが、これについてはあまり伝えられていないようですね。

No violence amid sea of red -bangkok post
集会はバンコク以外ではチェンマイ、ピサヌローク、パヤオ、ウボンラチャタニ、アユタヤ、ラヨン、ナコンシータマラートで行われた。主な趣向は91人の死者への追悼で総じて平穏に終わった。チェンマイでは運動競技場を会場とし、北部の各県からの参加者に加えバンコクから車で駆けつけた参加者も居た。首都とチェンマイ以外ではどこも数十から数百人程度の小規模な集会だった模様。

一方ウドンタニではこれに対抗する内務大臣主催の集会が5万人規模で行われ、ピンクのシャツの参加者達が王室擁護を主張した。

“บก.ลายจุด” ประกาศยุติชุมนุม ขอบคุณเสื้อแดงชุมนุมประสบความสำเร็จเกินคาด -siam intelli
ソンバット・ブンガームアノン氏:

今後の方針については、最低6ヶ月は大規模な集会は行わず、個々の小さな活動を重視していく。来週はウドンタニ県で自転車をこぐ。その後はアユタヤ県。どちらも交通を遮断する事は無く、PADと同様の機会を欲するものである。ディンデーンのタイ日運動競技場での活動も予定している。

 
SBS Dateline | Reds Return
オーストラリアの報道。チェンマイの集会に向けて人々が準備する段階からビデオ取材を行い、地道な寄付集めや地元民の生の声を収めていますが、後半に5月の事件以来ずっと身を隠している赤シャツへのインタビューが有ります。

潜伏している女性「当局の男性から、政府が排除したい人々のブラックリストが有ると警告された。仲間が追い詰められつつあり、また一部は既に狩られている。」
 
別の男性「問題の行き着く先は市民戦争だと思う。」
インタビュアー「それにはお金がかかるでしょう、タクシンが出すの?」
男性「彼は市民戦争のリーダーでは無い。今仮に彼が死んでも問題ない。皆自分で考えて行動できる。」
 
先程の女性「市民戦争が避けられないのなら私も武器を持って戦う。今はまだその時では無いけれど、戻ってくるかと聞かれれば”必ず”。全ての赤シャツは呼びかけが有れば戻ってくる。」


オーストラリアは研究機関のタイ研究もそうですが、メディアもタイ問題に妙に力を入れていますね、なぜでしょう?

追加 9-22:
ประมวลภาพ : เวทีกิจกรรมเสื้อแดงเชียงราย 20 ก.ย. -prachatai
20日月曜日のチェンラーイ県での集会の様子。参加者は千人程。内容はデモ隊強制排除に関する展示会、バンコクからのキャラバン出迎え等の活動。

Written by thaida

2010/09/20 at 09:58

赤服動向

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8月19日は「日曜は赤の日」運動のソンバット・ブンガームアノン氏(通称ボーコー・ラーイチュットさん)がラーチャプラソン交差点の看板に赤い布を巻いて赤いバラを飾り、9月19日に予定されている「クーデターから丸4年、5月の悲劇から丸4ヶ月」と題する集会の告知を行った。
บก.ลายจุด เตรียมจัด “4 ปีรัฐประหาร 4 เดือนราชประสงค์” ย้ำ “เราไม่ลืม” -prachatai(告知の動画有り)

予定では9月19日は民主記念塔から自転車で行進し17時頃にラーチャプラソンの集会鎮圧現場に到着、そこで「日曜は赤の日」の活動を行う。集会参加者は赤い布と赤いローソクを持参して欲しい。

我々は事件の事を思い出し、社会正義を求めてラーチャプラソンに帰ってくると約束した。政府は忘れたふりをし、国民に忘れさせるよう努力しているかもしれないが我々は忘れない。毎月ここに来る。

 
告知後は赤い布とバラを片付けて持ち帰った。これは「バンコクの清掃員の手を煩わせない為」とのこと。

同日、このすぐ近くのパトムワナーラーム寺では僧侶を招いて5月19日の集会鎮圧での死者の為のタンブンが行われており、多くの人々が参列した。

追加 8-23:

8月22日(日)は予定通りチェンマイで集会が行われた。チェンマイでは非常事態宣言による政治集会禁止は既に解除されている。

アルジャジーラによる報道ビデオ。
YouTube – Thailand’s ‘red shirts’ regroup

次は8月29日(日)のBig Cラートプラオでしょうか。

Written by thaida

2010/08/22 at 12:29

PAD集会

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PAD(黄色)によるデモ集会について、ステープ氏による「デモ集会は取り締まる」という発言の直後にCRESからの「PAD集会は非常事態宣言の取り締まり対象にはならない」という発言が有ったりと迷走しており、「仲間割れか?」等というニュース記事も飛び交っていますが、結局のところ主な集会場は政府官邸ではなく「タイ日本運動競技場」になるものと見られています。

集会場のあるプラチャーチューン周辺は要注意ですが、現在より暫くの間は政府官邸周辺の道路に入ると2年間の懲役及び4万バーツの罰金となるのでバンコク住人は要注意です。

進入禁止は以下の地図の地域。
Bangkok Dangerous Map: June – August 2010 – Google Maps by @RichardBarrow

[追加 8-9:

集会場ではアピシット首相が演台に立ち、PADの機嫌を損ねるようなことはしないと演説して集会参加者の理解を求めたようです。どうやらアピシット氏自らがPADの一員、あるいはその配下に居ることを公に宣言してしまったようです。この体制が続く限り二重基準は永久に是正されないのでしょう。近隣諸国に対して好戦的なPADが真の政府のような地位を占めているとなると、今後は不安定な情勢が隣国にも飛び火していくかもしれませんね。]

Written by thaida

2010/08/06 at 21:21

カテゴリー: ニュース, 政治経済

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ラーチャプラソン集会場に最後まで残っていた女性

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ラーチャプラソン集会場に最後まで残っていた女性が無事見つかったそうです。
พบ ตัวแล้ว “ผุสดี นาคคำ” จากแฟนคลับ “สนธิ” เปลี่ยนเป็น “คนเสื้อแดง” -prachatai
トンブリに住む女性プッサディーさん(54歳)。インタビューが有るので一部の意訳を載せておきます。あちこち省略してますが、間違いが有ったら教えてください。

以前はPADのファンクラブに入っていたが、リーダーのソンティ氏や政府は間違っていると思い、赤シャツの運動に加わる事になった。政府に議会を解散させ選挙を行う事だけが目的で3月13日からパーンファー橋での集会に加わり、その後ラーチャプラソンの集会に移動してきた。この2ヶ月間の路上での寝起きは大変だった。議会解散と選挙を求めるだけでこれほどの死者が出ることになるとは想像できなかった。

5月19日の集会解散の宣言を聞き、ここで止めたらこれまでの多くの犠牲が無駄になり、しかも犠牲者達はテロリストだったという事にされてしまう。しかし爆弾や銃声が演説ステージの近くで次々と起こり始めるとリーダー達は走って逃げ出し自首してしまい、他の集会参加者達も逃げ出した。「赤シャツ組は共に居て共に死ぬ」と以前リーダーの一人と約束した。自分は兵士が来て捕まるか撃たれるまでここに居ようと決めた。

もうじき兵士が来るだろうと座って旗を持ち、プラトゥーナム側を見つめていた。その方向には座って状況を観察している外国人記者グループが居た。周囲では時折銃声や爆発音が聞こえ、ただ穏やかに死にたいなと思っていた。その後、黄色いスカーフを身につけた数十人の兵士達がプルーンチット側から歩いてくると、まだ残っていた記者達も自分のところに来てインタビューを始めた。まるで兵士達に記者達がそこに居ることを示せば兵士達も手を下さないのではないか、という風に。しかし兵士達はただ家に帰るよう促しただけで、特に脅すような事は無かった。

考えてみれば兵士がやってきて最後の一人である私を見つけるまで居残った。生き延びたにしてもやるべき事はやったと思い、鞄にあった白いシャツに着替えた。記者達と共にプルーンチット方向に歩いて行くと、そこら中に兵士だらけでプルーンチット通り側まで掌握され、軍用車、消防車、囚人護送車も有った。奇妙なことに、それらの消防車は火災が起こった時に使わなかったようだ。実は私以外にもあと二人の女性が近くで瞑想していた。私が出た時もまだそこに居たが、彼女等がどうなったのかは分からない。個人的には行方不明になった人々がまだ何人も居るはずだと思っている。セントラルワールドの地階に逃げ込んだ人々が居るからだ。

今は傷を癒す時だと思う。赤シャツはテロリストの汚名を着せられ、社会はそれを信じている。民主主義によって統治されていると誤解しているが、現実は独裁だ。悲しいのは死んだ人達が政府の毎日の宣伝により、まるで強盗のように思われている事。

我々の胸の中にはまだ理想が有る。機会を待ってまた要求する。新たな戦いは破壊や復讐では無い。赤シャツの人達は皆養生が必要な重病人のようだが、まだ負けは認めない。放火をしたのは赤シャツでは無いと信じている。本物の赤シャツは平和を愛する人々だ。

リーダー達が逃げ出したことには怒っていない。しかしUNの部隊が助けに来るなどという嘘をついたのには不満だ。不可能な話を持ち出して戦っている人々に夢を見させた。そんな部隊は最初から存在しない。起き得る事態に自ら対処する準備が有れば、被害はもっと減らせただろう。(後略)

インタビューを読んでいると、タイの女性の活動家には骨のある人々が多いという一面が伝わってきますね。覚悟を決めて最後まで逃げない。他にも二人の女性達が逃げずに残っていたという新たな件も語られています。

インタビューから分かるように数十人の兵士が入ってきて集会場を掌握していました。その後のセントラルワールドに放火する一群の人々の様子はビデオに撮られ公開されています。軍隊も充分、消防車も用意して居たのに消火活動は行われなかった、という点もこのインタビューから分かります。

Written by thaida

2010/06/03 at 16:02

カテゴリー: 政治経済

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少なくとも39人が行方不明

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39 still missing after protest -bangkokpost

5月19日の強制排除の前日にディンデーンでのデモ集会に参加していたNGO鏡財団議長は、政府CRESに対し、行方不明者の捜索の為に政府治安部隊による拘留者のリストを公表するよう要求している。逮捕拘留された人々は4月10日に30人が裁判所に、5月19日は約100人が矯正施設に送られているが、未だに少なくとも39人が行方不明、そのほとんどは5月19日の強制排除の時に行方不明になっている。
今回の要求は、政府CRESが勾留者氏名の公表を拒んでいることが行方不明者の捜索を困難にしている為。行方不明者の身内が捜索願いを出しても警察は管轄外として受け取りを拒否するケースも有るという。
拘束された人々が目隠しをされ、手錠を掛けられている様子は既に複数のメディアが伝えている。
また行方不明者のリストには含まれていないが、ラーチャプラソン集会場に最後まで残り撤退を拒否していた50歳の女性、その写真が様々なウェブサイトに公開されたが、彼女もまた行方不明だという。

目隠しと手錠をされて兵士に監視されている写真はいくつか出回っていましたね。その同じ部屋で大量の血痕だけが残されているというおぞましい写真も有りました。過去の反政府運動の強制排除では100人以上が行方不明となったケースも有り、結果的には処刑されたのだろうと言われています。多くの行方不明者の遺体は今回も永久に出てこないのではないでしょうか。

Written by thaida

2010/06/01 at 15:10

カテゴリー: ニュース, 政治経済

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